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2005年12月27日 (火)

転換していない私

051227 今月中旬,韓氏意拳の稽古で,中国に行って来た。

1年ぶりの中国での稽古。
滞在中の稽古で気づいたこと・学んだことはいろいろあったけれど,一番心深くに残ったのは,いつも「自分がどうにかしよう」としているということ。

「自分が正しくやろうとしている」「自分が自然に伸びやかにやろうとしている」…やることにすべて「自分が」や「私が」が,モレナク付いている。
稽古中,ずっと,自分自身のあり方を傾聴したり観たりするモードでいようと心がけていた私がいたけれど,そういうことじゃない…と帰国してから,改めて気づく。

確かに,稽古中の私の状態を「説明」すると,「私が聴いている(観ている)」と言えるのだけれど,稽古している真っただ中の自分自分は,そうであってはダメなのだ。
「聴かれているのが私」「観られているのが私」なのだ。
「私が聴いている(観ている)」というスタンスで稽古するから,思考から離れられない。だから本来の自分を表現できない…。

宮浦老師が存命中言っておられたことを思い出した−「「面壁=壁が自分をみる」からこそ仏行である」。
内山老師の言葉も思い出した−「この人間根性の「自己否定」ということは,人間根性をむりして抹殺することではない。ただ神のモノサシによって素直に測られるということなのです。」(『観音経 十句観音経を味わう』(p176-77))

この言葉,私の身体は受け取っていない。でもその事実を,今,受け取ろう。
そう,受け取るだけでいい。それに,今回の稽古では,ホンの少しではあったけれど,その言葉の方向性の感覚を体験している。
「ただ素直に測られる」モード。そこに広がるであろう世界を,「ただ素直に測られる」という行為によって体現していく。

うん。そうだ。

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