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2006年1月 7日 (土)

坐る

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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いしますm(__)m

新年の第一日目は,恒例の年頭坐禅1チュウの後お節と今年は中国茶(→)。
久しぶり坐って,やっぱりこういう生活がいいなぁ…と感じる。

1チュウ坐わることで,明確に何ががどうなるということ…手応えはないのだけれど,水面に小さな小さな小石を落としても,そのさざ波は伝わり,石は水底へ沈んで行くように…,確かな影響を私に与える。

あるいは,溶媒によって含まれる成分が展開していくクロマトグラフィーの現象ように,坐禅という溶媒で,私は意図する事無く,その時々,様々に展開する。それをただ一目に視る。

ここ2年余り,「坐る」ということから,迂回して過ごして来た。
そのことに,正直後ろめたさも感じながら,でも参究し続けているしどの道自分が坐禅から漏れることはないと,自分を納得させていたところもあった。

けれども,やはり実際に「坐る」という行為は,やはり絶大だ。大心の大。

私の生活に「杭を打つ」−と書いてみて,内山老師の詞を思い出した。
この杭は,私の生活を円滑・安全にする道具としての杭ではない。十字架なのだ。

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イエス型自己

      四四

われの思いはアダム型肉の念い
この思い悔い改め手放す所 かえって
大自然的神の霊のいのち働く
十字架上の肢体死する所
かえって霊の体とし復活るイエスの如し

      四五

十字架上の死しそこに復活するイエスも
過去の他人の話としてならず
今ここ自分を坐禅上に磔にして万事休息
そこに眠らず霊として覚めるのが坐禅
坐禅はイエス十字架を今ここ行ずる姿勢

(『いのち楽しむ-内山興正老師遺稿集』p131-132)
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坐禅は,代替えのきかない「坐り」。

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