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2006年7月11日 (火)

更待何時(今でなくて,いつやろうというのか)

梅雨です。

梅雨の晴れ間…というか,外に洗濯物が干せる雨の切れ目をねらって洗濯する。他にやっていることは一先ず中断して,まず洗濯!再び雨が落ちてくると,部屋へ移動…という今日この頃。

天気の様子を見ながら「あ〜洗濯しなきゃ…今洗濯しないでいつやるの?」と自分に問って,ふっと思い出したのは『典座教訓』に出てくる用典座の話。

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 道元が天童山で修行していた時,68歳になる用(ゆう)という典座が,敷瓦が焼け付くほどの炎天下で笠も被らず海藻(きのこ)を干していた。道元は,用典座に「そんな歳で,何故典座の下役や雇い人にさせないのか」聞いたところ,「他人のしたことは,自分がしたことにはならない(他不是吾(他は是れ吾れにあらず))」という答えが返ってきた。更に,道元が「その通りであるが,なぜ陽射しも熱いのに,なぜこのようことをするのか」と尋ねると,用典座は「今(海藻(きのこ)を干すのに最適の時間)でなくて,いつやろうというのか(更待何時)」と言われた。
 道元は,用典座のこの言葉を聞いて,心の中で,典座職がいかに大事な仕事であるか覚ったのである。
(HIRO's HP>食のコーナー>「なぜ典座教訓か?」より。「典座教訓全文[73]〜[78]」も参照ください。)
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「他不是吾(他人のしたことは,自分がしたことにはならない)」
「更待何時(今でなくて,いつやろうというのか)」

この言葉を,改めて自分に投げてみると…。

本当に,私が今やるべきことは何?瞬間瞬間,私が選択する「正しい行為」は何?

という問いが,新たに出てくる。日常,特に仕事上で,自分の行動の優先順位をつけ,やるべきことを選択してはいるのだけれど,自分の中の深さに耳を傾けるとき,実は,結構その選択(と選択のプロセス)は,実は,大事なことを外している…ということにも気づく。

「私が今やるべきことは何?」…その答えは,アタマで考えなくても,瞬間瞬間の「今・ここ」にある。ただ,思い手放しで「今」をよく見て聴くことで,それは分かるはず。そして,そうアタマで思うだけでなく,私にはもうそれが出来るはずでしょ?

宮浦老師から最期に頂いた言葉を思い出す。

「何も変わることなんかないんだよ。
私は、"この人(だけ)が悟ればいい"、
そんな小さなことで得度したんじゃないんだ。
そんなことで縁を与えたんじゃないんだ」

私に与えられている"calling"は,私が考えるよりもずっと大きく,とても当たり前なことのような気がする。

その答えも,瞬間瞬間の「今・ここ」に,すでに現れている。

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