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2006年7月21日 (金)

人生の優先順位

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古本屋で見つけてね!
「あなたの人生の中で,最も優先させるべきことは何ですか?」

なーんて,マネジメントやコーチングのウェブのHOMEに「今日の一言」という見出しで載っていそうな問いである。最近の私は,この問いではなく,私の中で「人生の優先順位はひっくり返る」だろう…という予感の中にいる。

『典座教訓』の「更待何時(今でなくて,いつやろうというのか)」を味わっていると,「ひっくり返る」という漠然とした予感に楔が打ち込まれる。

人生の優先順位。

これは「人生の価値」の話にも繋がる。

『人生科読本』の「第六章 価値について」の中で内山興正老師は,こんなことを言っている。

「ところでいま価値ということが問題となってくるのは,ただ「1/一切 としての自分」においてのみであって,けっして「一切/一切 の自己そのもの」においてではありません。一切/一切 である本来の純粋生命においては,べったり生命なのであって,価値という分別が入ってくる余地はないからです。」(p153)

なんと,「価値という分別が入ってくる余地はない」!
さらに…

「たとえば,光のみであって,まったく陰影というものがないところには,何の影像も結ばないようなものです。しかしいま実際に生きるわれわれ人間生命においては,生来的に人間的心識(あたま)があたえられており,この心識(あたま)によって「1/一切 の自分」という個別自分を自覚しています。」(p154)

そして…

「価値分別は,このような「個別的自己において」こそ,はじめて現れてくるものです。そしてこの心識(あたま)をもった「1/一切 の自分」は通常,自分の「物足りようの思い」をもととして価値分別をし,「自分を物足りさすもの」をもって「価値あり」として,これの追究に生きています。これは生来的本能をもって食物を追いもとめる動物のつづきとして,当然のことかもしれません。」(p154)

しかし…

「この「物足りよう」の追究をもって,人生の営みのすべてだとすれば,それは結局たんなる「アタマの分泌物のために生きる」転倒,倒錯なのであって,結局それは「自らの亡びのために,営々として一生を生きる」姿でしかなくなってしまうでしょう。」(p154)

これこれ!これなんだよね,と頷く。でも,まだこの内山老師の言葉を体認するには至らない。

昨夜,韓氏意拳の站椿をしながら,ふと「真っ暗闇かこの上ない光か…という選択じゃない世界」という言葉が浮かぶ。今はまだ,自分の選択肢が「真っ暗」or「光」の二元的な域を出ていないけれど,この先何かが全く反転してしまうのだろうという捉えどころのない深部的感覚。これが今の私のリアルなところ。

と,ここまで書いて,あー反転してひっくり返るのは,自分の中の"何か"じゃなくて,きっと自分"そのものなんだ"…と気づく。そう気づくと,ひっくり返った先がどんな世界かは分からないけれど,ひっくり返るという流れを恐れず,抗わず,身を委ねることが,私の取るべき最善の道だと知る。

何が,私の人生の最優先事項かは,焦らずとも,ひっくり返った時に,自ずと分かり,言葉にもなるだろう…。

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コメント

うー ひっくり返るねぇ・・・
そうだよね。
ずっとその価値観を最優先とすると仮定している
けれど・・・うー

うー・・・また考えされられました。

投稿: せいちゃん | 2006年7月23日 (日) 13:07

こちらにも書き込み,ありがとう!
大事なことは,信奉する価値観じゃなくて,自分を動かしている価値観がどうか?ってことなんだよね。

投稿: HIRO | 2006年7月24日 (月) 08:30

ご指導ありがとうございます。

その価値観が自分を動かす原動力になっていると感じているならそれは間違いないですね。

投稿: せいちゃん | 2006年7月24日 (月) 23:43

「その価値観が自分を動かす原動力になっていると感じているならそれは間違いない」。ん…どうでしょうか…?内山興正老師は,「思いは幻影,行為は現実,結果は化けてでる(夢の中でトイレに行きたーいと思って夢の中でトイレに駆け込んで用を足すとスッキリ!現実では布団の上でスッキリしたわけで,結果布団は…(;o;),ということ)」と言われたけれど,「思いは幻影」モードでも,感じることはできるんですよね。大事なことは,「その価値観が自分を動かす原動力になっていると感じているならそれは間違いない」と言ってる自分の視点(立ち位置)じゃないでしょうか。「1/一切」的視点なのか,「一切/一切」的視点なのか…。この違いって,とても大きいけれど,ある意味微妙です…。

投稿: HIRO | 2006年7月25日 (火) 01:10

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