抗わない
先日,師匠のお墓参りに一年ぶりに安泰寺に行く。
帰りの山道を降りながら,ふと「放捨」という言葉が浮かんだ。
「放捨」は道元禅師の『普勧坐禅儀』に出てくる「放捨諸縁 休息萬事 不思善惡 莫管是非(諸縁を放捨し,萬事を休息して,善悪を思わず,是非を管すること莫れ)」。
こう読むと「自分の外にあるいろいろなものからの影響を投げうって…」ということになるのだけれど,そう思って(そう考えて)坐禅にしても,日常の自分の一挙手一投足にしても行なおうとすると,なんかヘンな感じ。このヘンさは,たぶん,自分と外界が分かれてしまっていて,ナマな生きてる実体にあわないんだと思う。自分という生きてる主体の話じゃなくなる。
「放捨諸縁 休息萬事 不思善惡 莫管是非」とは,「自分のすべきことをすべき時に,今今,瞬間瞬間する」ということなんだ…,あっ,これが「抗わない」ってことか…。
「身をゆだねる」ということも,また然り。
(★内山興正著『普勧坐禅儀意解〜普く勧める坐禅のしかた』(復刻版『普勧坐禅儀を読む—宗教としての道元禅』)
の意訳抜書きや対意訳,坐禅については澤木,内山,岸沢老師の"坐と行"のコーナーへどうぞう。)
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