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2007年12月22日 (土)

〈「信」とは発見である〉

「「信」とは発見である」
(内山興正著『自己-宗派でない宗教』)

信ずるとは「ほんとうにおもうこと」「疑わぬこと」だとおもっておりますが、いまはそうではありません。信とはこの「何から何まで」の発見です。

それでもしこのような神を信じない-つまり信の反対のことをいおうとするなら、それは「疑う」ということではなしに、「未発見」というべきです。自分のどの能力をとりだしてきても、チャンとその中に働いている、そのように遍満して働いている力に対して、いまだ発見していない-未発見であるにすぎないのですから。

それに反し「信ずる」とは、このような自分の生命体験「自分が生かされている」ということの発見です。たんに発見なのですから、神を信じたからといって、とくべつなにか新しいものが付けくわわったというものではありません。いやなにか付けくわえたとすれば、それは人間のツクッタモノ、被造物でしかないでしょう。

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