諸法実相なれば
「諸法実相なれば,一塵実相なり。しかあれば一心は諸法なり,諸法は一心なり,全身なり。」(正法眼蔵・発無上心)
内山興正『正法眼蔵 発無上心を味わう』より(p107)
もし牛や馬,人間等をいま事実実相としてあるというのなら,目に見えないような一塵といえども事実実相だ。つまり一心,私のいのちといった限り一切ぐるみだということです。私がこうして生きているのは働けばこそ生きている。
いつもいうように私は諸法を生命体験しつつ生き,諸法は私に生命体験されてある。そうする働きの場というのも私が生きていることだ。働きの場ぐるみが私だ。自心と万法と二つに分かれる以前の全身だ。それをみんな俺の頭だけが何とかヘソクリしようとするから野暮ったい。垢ぬけしていない。一切万法ぐるみの自己を生きなければならないのです。
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