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2008年3月10日 (月)

〈正味は覚触〉







「正味は覚触」

澤木興道著『禅談』より



三十年幾年坐禅をやったところで少しも人格と関係がない。自分というものと関係なしに悟ってをるのだから,そんな悟り方なら,吾々も子供の時分に幾つでも悟った。然し,そんなものは,謎かけと同じことで,又試験の答案と同じ,数学の宿題と同じことで何でもない。

要するに筋肉の構えからして人間が出来なければ駄目なんだ。筋肉の構えからなるのが詰り,常濟大師の言葉にある「覚触」ということである。身(からだ)でやることです。吾々は仏法を覚触するのです。






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