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2008年3月27日 (木)

〈きく(7)〉







「きく(7)」

奥村一郎『祈り』(pp70-71)



 み名の尊まれんことを
 み国の来らんことを
 み旨の天におこなわるるごとく
 地にも行なわれんことを

神にきくキリスト者の祈りは,ひっきょう,この願いに集約されることになる。しかし,この主の願いをわたしたちの願いとするためには,み旨ならぬ多くのものを切り捨てることを知らねばならぬ。キリストのことばによって,刈りこまれることを学ばなくてはならない。しかも,わたしたちを刈りこむのは,ときには他人の批判や誤解,しっとや権力,あるいは神の愛さえもまったく見ることができない不慮の災いや,試練の残酷な斧である。しかし,「この世が与える平和ではなく,わたしの平和」(ヨハネ14・27)と言われる主の平安は,このようなきびしい刈りこみによってのみ与えられる。十字架のないところに,復活はありえない。なんぴとも奪うことのできないまったき喜び(ヨハネ16・22)を生みだす主における心の静寂は,常に十字架上の神の血によってあがなわれたたまものである。







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