〈どっつかえたところに身命をなげうつ〉
「どっつかえたところに身命をなげうつ」 (岸沢惟安『正法眼蔵全講』「第1巻 弁道話」 それだから一人一人がみな眼蔵になって,眼蔵の参究をしなされ。研究はいかぬ,それは学問だ。眼蔵は学問ではない。参究して,実実に実行する。そのときに,どこがどっつかえるか。そのどっつかえたところに身命をなげうつのだ。おもてむきのわかった,わかったで済んでしまえば,眼蔵はほろびる。自分がわからなくなって,はじめて眼蔵に首を突っこみはじめたのだ。わかるうちは道中だ。わからなくなるのが,眼蔵のわかりはじめだ。耳で聞いた拝借物はやくにたたない。 |
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