〈尽有尽界時々の地盤で〉
(内山興正『正法眼蔵―有時・諸悪莫作を味わう』(p68) まずこの「有時」巻の冒頭に,「有時高高峰頂立。有時深深海底行。有時三頭八臂。有時丈六八尺。有時(手へん+主)杖払子。有時露(手へん+主)灯籠,有時張三李四,有時大地虚空」とあるように,いわば事物,事態を八つ並べられたのである。そしてこういういわば,事物,事態はすべて有時であることをまずいわれた。 それに対してここの先の二句「有時教伊揚眉瞬目。有時不教伊揚眉瞬目」という教伊,不教伊は,いわば人間の意志の働きである。しかしそういう意志的働きも有時であることが,ここにいわれる。 あとの二句「有時教伊揚眉瞬目者是。有時教伊揚眉瞬目者不是」という是,不是は,いわは人間的価値判断です。そういう価値判断も,しかし有時に他ならないことを,ここでいわれる。 その点とにかく冒頭の話からはじまってここまで道元禅師がいわれてきたことは,有時とは尽有尽界,時々ということだった。そしていまここでいわれることは,「せしめる,せしめない」「よい,悪い」という,そうした人間的意志や価値判断さえも,尽有尽界時々の地盤で働かすことが大切だということです。決して考えの先っぽを追求していくことが大切なのではなく,かえって時々刻々,尽有尽界の生命実物を見失わず,それに立ち帰って働くことが大切ということです。 |
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