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過去の失敗や罪業を数えるとき 私は満身創痍で 疲れ果てた脚をひきずりながら とぼとぼと馬小屋に向かう 老いたる駑馬である いったん 未来の誓願に向かうとき 忽ち私はまったく無疵の 瑞瑞しい姿となって 颯爽と蹄音響かせて 門出してゆく駻馬である この過去から未来へ変身する 現在の一点において いま私は生きている
投稿者 HIRO 日記・コラム・つぶやき, 書籍・雑誌, ◆内山興正, ★祈りの言葉 | 固定リンク | 0 Tweet
>kuさん
こんにちは,HIROです。 天地いっぱいの自己に…そうですね。
私は,自分の立ち位置が?の時も!の時も, 内山老師の次の言葉を大切に考えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 『自己-宗派でない宗教』(p246-249)
してみれば四聖諦にしても,「苦のもとは欲望である」,それゆえ欲望を滅すれば,寂滅の楽が得られる」などといういいかたをすればアヤマリです。 「寂滅の楽を得ようとする,そのことが欲望ではないか」と,かって発したわたしの疑問は,けっしてアヤマッテはいませんでした。寂滅の楽をえんとする欲望がそのまま,かえって修行者をして,抜くべからざるディレンマに追いこむだけですから。 -真実の佛法のおしえは,そんなことではありません。 「欲から苦が生ずる私がある。」 -まず苦,集の二諦は,かくおしえます。これは流転輪廻する自分のすがたのことをいうのです。 しかし同時に「これとまったくちがった自己」があります。それはつぎの滅,道の二諦がおしえる。 「道をあゆむなかには,寂滅している自己がある。」 ということです。 四聖諦はただこの二つの自己の道をならべてみせるだけです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
で,「私」はどうする? と,様々なことから問いかけられているのだけれど, その答えは,自分の中を探ってもないんですよね…。 あ…「心の中を探らなくても。」に繋がりました。
投稿: HIRO | 2008年12月11日 (木) 12:13
会社の休憩時間に読ませてもらってます。 ”現在の一点においていま私は生きている” 私の現在の一点は喘ぎ、不満において、命を消耗させている事からまた天地いっぱいの自己にと、あせる自我であります。
投稿: ku | 2008年12月11日 (木) 10:29
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>kuさん
こんにちは,HIROです。
天地いっぱいの自己に…そうですね。
私は,自分の立ち位置が?の時も!の時も,
内山老師の次の言葉を大切に考えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『自己-宗派でない宗教』(p246-249)
してみれば四聖諦にしても,「苦のもとは欲望である」,それゆえ欲望を滅すれば,寂滅の楽が得られる」などといういいかたをすればアヤマリです。
「寂滅の楽を得ようとする,そのことが欲望ではないか」と,かって発したわたしの疑問は,けっしてアヤマッテはいませんでした。寂滅の楽をえんとする欲望がそのまま,かえって修行者をして,抜くべからざるディレンマに追いこむだけですから。
-真実の佛法のおしえは,そんなことではありません。
「欲から苦が生ずる私がある。」
-まず苦,集の二諦は,かくおしえます。これは流転輪廻する自分のすがたのことをいうのです。
しかし同時に「これとまったくちがった自己」があります。それはつぎの滅,道の二諦がおしえる。
「道をあゆむなかには,寂滅している自己がある。」
ということです。
四聖諦はただこの二つの自己の道をならべてみせるだけです。
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で,「私」はどうする?
と,様々なことから問いかけられているのだけれど,
その答えは,自分の中を探ってもないんですよね…。
あ…「心の中を探らなくても。」に繋がりました。
投稿: HIRO | 2008年12月11日 (木) 12:13
会社の休憩時間に読ませてもらってます。
”現在の一点においていま私は生きている”
私の現在の一点は喘ぎ、不満において、命を消耗させている事からまた天地いっぱいの自己にと、あせる自我であります。
投稿: ku | 2008年12月11日 (木) 10:29