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2009年2月25日 (水)

「ツクリゴト」。

内山興正著『宿なし法句参−沢木興道老師の言葉を味わう』より。

法句=「人間の頭にはいつもなんぞコリカタマリがある。何々主義などというのは,何々にコリカタマッテいるということだ。それでどれだけ仏法が近くにあっても見ることはできぬ。このコリカタマリがあるからじゃ。」
法句=「思想とは『すべて出来上がったうえの話』でしかない。仏法は『すべて出来上がる以前』のことである。」
参=(略)本来の仏法とは,このような「人間の思いついたツクリゴト」ではなく,人間の思いつく以前,ツクリゴト以前のところに自己を発見し,その坐りから働くことでなければなりません。むかしから「仏見(ぶっけん)法見(ほっけん)をも立せず」といわれていますが,その意味は仏法とはいかなる主義(仏教にさえ)にもカタマラズ,いまの生命を自由にいきいきと働かすということです。

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2009年2月21日 (土)

めあて。

悪人正機。
あゝ エホバよ われ深き淵よりなんじを呼べり。

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旧約聖書 詩編130
(聖書-詩編:フランシスコ会聖書研究所訳注)
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深い淵からの叫び(上京の歌)

ヤーウェよ,わたしは深い淵から あなたに叫ぶ。
主よ,わたしの声を聞きいれ,
せつなる願いの声に耳を傾けられよ。
ヤーよ,もしあなたが悪に目をとめられるなら,
主よ,だれが立っていられよう。
しかし,みもとには ゆるしがある。
それで人々は あなたを敬う。
ヤーウェは,わが望み,
わが魂の望み。
わたしは そのことばを待ち望む。
夜回りが あかつきを,
夜回りが あかつきを待ち望むにもまして,
わが魂は主を待ち望む。
イスラエルよ,ヤーウェを待ち望め。
ヤーウェのもとに いつくしみがあり,
豊かな あがないがある。
ヤーウェみずから イスラエルを あらゆる悪からあがなわれる。

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※悪:日本聖書教会の旧約聖書では不義。

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2009年2月15日 (日)

自分が選んでいる。

畢竟,誰しも自分の生きたいようにしか生きてない。

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2009年2月14日 (土)

7年経って…。

「それでいいのだ」という声が,
初めて私の内に響いた。

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2009年2月 1日 (日)

みんな自分の修行をしている。

どんな人も、皆自分の修行をしている修行僧だ。

典座教訓

「供養の物色を調弁するの術は、物の細を論ぜず物の麁を論ぜず、深く真実の心、敬重の心を生ずるを詮要と為す」

(修業僧たちに供養する材料を調理しとりそろえる心構えは、材料の上等とか粗末なものとかを問題にしないで,深く真実の心・鄭重な心をおこすことが肝要である。 )

「又衆僧の得失を見るべからず,衆僧の老少を顧みるべからず。自猶お自の落処を知らず,他争か他の落処を識ることを得んや。自の非を以て,他の非と為す。豈誤まらざらんや。

(また,(修行僧たちを供養するにあたっては)供養される修行僧のよしあしを見てはならないし,修行僧の老若を問題にしてはならない。自分でさえ自分の落ち着きどころを知らないのに,他人の落ち着きどころを知ることができるだろうか。自分が間違っているから,他人も間違っていると考えるのは,どうして間違っていないことであるだろうか。 )

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