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2010年2月11日 (木)

「まず足許から工夫を要する。工夫するところ何処でも道だ」。

澤木興道著『禅談』より。(H8年復刊第18刷:pp186-189)。

 禅宗坊主に『脚下を照顧せよ』という言葉がある。足許を照らせということである。足許を顧みよということである。更にいえば貴様はどうかということである。そうすると此の『脚下を照顧せよ』ということは,自己の生活に何時も立戻れということである。
 それには大きい鏡がなければならぬ。此の鏡に始終自分を写して見ることである。地獄でいうたら浄玻璃の鏡である。
 地獄,極楽の絵を見ると,よく亡者を引掴えて鏡を見せているのがある。鏡には荷物を持って逃げようとしているところが映っている。此の鏡が則ち吾々の業鏡で,各々(めいめい)自分で持っている訳です。そして各々の境涯に相応した業を映している。専門の言葉でいえば是が第八阿頼耶識です。
 その鏡の中に,何も映らない世界,そういう世界は一体どこにあるのか。この何にも映らない世界は悟りの世界であり,坐禅の世界である。出る息,引く息に,出る息は出る息限り,引く息は引く息限りに,念々不断に回光返照して,本当の自分を見つめて行く世界である。ここのところを『普勧坐禅儀』には,『所以に須く言を尋ね語を遂ふの解行を休すべし。須く回光返照の退歩を学すべし。』
と仰せられてある。

(中略)

 この回光返照の退歩というのは,正しく坐禅をすることで,字の訳や,典拠振りまわす様なことはせんでも,宏智禅師もいわれている様に『退歩は己れにつく』であるから,自己に親しむ工夫をしなければならぬということです。したがって私たちの一番努力せなければならぬ事は,この回光返照の退歩を学するということです。左之右之,あらゆる時,あらゆる場合にこの工夫を要するのである。

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2010年2月 2日 (火)

遇一行修一行。

「(どんな状況でも)ぐずらずに受けて立ち、それを勤めあげることに情熱をもやす」ー内山興正老師。

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