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2010年5月 9日 (日)

「回光返照」。

澤木興道老師『禅談』「回光返照」より。

 坐禅が本当に円熟して来ると,一堂に何十人坐っていても,十分か二十分は,実にシーンとして,それだけの人間が居るとは思われぬまでに,それこそ物凄い程静かな澄んだ雰囲気が出来る。その雰囲気が出来ることが大事なのです。

 僧堂などでも,嫌な奴をやらすものだから,首をふったり,モソモソしよる。能う居眠る。禅宗坊主になった以上は坐禅になり切らねばならぬ。もっと坐禅が好きにならねばならぬ。それが,バラバラに徳利を並べた様な坐禅では何にもならぬ。

 在家の坐禅では居眠りは能うやる。居眠りをやめたと思うたら五分に一回位腕時計を見よる。ソロソロ厭きて来ると又船を漕ぎ出す,頬杖をつく,そしてこんな足の痛いことはどもならんと横着なことを云う。これでは一番大切な雰囲気などは容易に出来ない。

 この雰囲気が出来れば,何十人一所に居っても,全体が透明になる。一歩進めば大円鏡智と云うて,広く大きな鏡の如く,時間空間が透明になる。それに自己を見出せば,これはいつもの自己と又別の自己であります。石頭大師が『回光返照便ち還り来たる。霊根に廓達すれば向背にあらず』と云うて居られるが,吾々が回光返照すると云うのは,天地と同根,万物と一体の自己を体験するのです。

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2010年5月 7日 (金)

朝ごはんブログ110日。

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思うところあって,毎日の朝ごはんをブログにup,ということをはじめて110日。何となく見えて来たことが,一つ。

「自分の感情や思いって,寄りかかるほど実体のあるものではないのだなぁ…」

ということ。

朝ごはんを食べたくない日,つくりたくない日,朝からいろいろつくりたい日(というのは,ほとんどないが…),時間がない!日…いろいろ感情や思いは湧いてくるくるのだけれど,それって「朝ごはんをつくる」ということとは関係ない。

朝ごはんを毎朝up!ということが歯止めとなっていることもあって,「それはそれとして,朝ごはんをつくる」ということを110日やってみると,

「今朝は,朝ごはんを○○○だ。だから,朝ごはんを△△△する」。

この「だから」というのは,全然意味ない…というか,自分の頭を納得させる言葉にしか過ぎないことが分かる。
というのは後付けの理屈で,何とはなく,

「感情や思いって,寄りかかるほどのものじゃないなぁ…」

と,体感として感じる。のれんに寄りかかろうとして無理なことが感覚として分かるように。

しかし,その一方で,寄りかかれないのれんに,わざわざぶら下がるようにして,寄りかかろうとしている自分も居たりして。

まだまだ朝ごはんブログの実践は続く…。

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