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2011年2月25日 (金)

而今。

一夜賢者の偈

過ぎ去れることを追うなかれ。
未だ来たらざることをおもうことなかれ。
過去,それはすでに捨てられたり。
未来,それはいまだ到らざるなり。
されば,ただ現在するところのものを,そのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく,動ずることなく,それを見極め,それを実践すべし。
ただ今日まさになすべきことを熱心になせ。
誰が明日死のあることを知らんや。
まことにかの死の大軍と,遇わずと言うのはあることなし。
よくかくのごとく見極めたるものは,心をこめ,昼夜怠ることなく実践せん。
かくのごときを一夜賢者といい,また,心しずまれる者とはいうなり。

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2011年2月13日 (日)

お葬式にて…。

「死に時になったら死ぬ」ってあるんじゃないだろうか…と,お葬式で最後のお別れをしながら,ふと思った。

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「黙って死ね」

 内山興正老師『生命の働き―知事清規を味わう』123-125頁より。

 …人生において弁解や理屈の通るときは大いに通したらいいんだけど,ときとしてはそれが通らないことだってある。そういう場面に出逢ったら黙って死ぬより仕方ないんだ。
 私たちの仲間に禅徹道機上座という人がいた。なかなかしっかりした人だったけれど,兵隊にとられて戦死した。この人が戦争にいって最期に大連から長い手紙をよこした。その中に「オレみたいな有望な青年たちがこの戦争で敵の弾丸一発で死ぬ。そんな馬鹿なことがあっていいのだろうか,そう考えてはみるけれど,しかしそのときは黙って死ぬより他ない。」と書いてきた。だからなるべく鉄砲玉のこないところで生きようとすることが大切だけど,しかし鉄砲玉がどんどんくるようなところへ出されることだってある。人間にはどんなことだってある。わたしなんかはこれで還暦まで生きのびてきたけれど,それはありがたいと言わなければならない。しかしやはりそうしたわたしでも,黙って死ぬということはいつも覚悟しなければならなかったことは何度もある。
 私が西郷南洲翁の伝を読んだのは東京の至誠寮にいたときのことでしたが,その本によると,西南戦役を実際に引き起こしたのはだいたい桐野利秋なのだそうです。それで最期に城山で切腹するときに,西郷南洲の弟が「桐野利秋のために俺たちは死ななければならないんだ。」と南洲に愚痴を言った。そしたら西郷南洲は「黙って死ね。」と言ったと書いてあった。ちょうどこれを読んだころ,いろいろ複雑な事件が起こっていて,私自身もそれこそ黙って死ななければならない破目に追い込まれていたので,この言葉に特に感銘した。それでその後,防府(山口県)の護国寺で摂心があり,そこに行っていたとき,わたしは沢木老子からさんざんにひどく怒られたことがあったが,わたしは全く死んだつもりで一切弁解せず,全く黙っていることができた。
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