朝ごはんブログ1年過ぎて…。
昨年の1月18日から始めた毎日の朝ご飯の記録「朝ごはんブログ」,現在も継続中。
1年経ったので,ココログ(niftyのブログ)の出版サービスを利用して,本にしてみた。
毎日の朝ご飯を載せているだけなのだけれど,私的には何か面白い。ただし,載せている内容には,あまり意味や価値はない。ひとさまのお役に立つようなレシピでも,見てもらうための配膳でもないので…。
1年の継続の成果は,当たり前だけれど,非常に重要なことについての気づき。ただ,毎日,朝ご飯をつくって,あるいは食べた食事を載せる,という行為をしている自分自身の気づきに意味や価値がある。
朝ごはんブログを始めて3ヶ月余り経った頃,
「自分の感情や思いって,寄りかかるほど実体のあるものではないのだなぁ…」
ということが,何となく見えてくる。
のれんに寄りかかろうとしても無理なように,感情や思いは寄りかかるような実体のあるものではないことが,感覚として何となく分かってくる。またその一方で,寄りかかれないのれんに,わざわざぶら下がるようにして,寄りかかろうとしている自分がいることも見えてくる。
10ヶ月余り経った頃,
「今日は昨日と違う…」
ということに気づく。
毎日,同じ台所に立って朝ご飯つくっているのに,ある日,台所と自分の関係が昨日と違ってしっくりしているとかいないとか…そんな周りのものとの関係が昨日とは違う日のあることに気づく。どうやら,自分は毎日同じ空間を同じように生きているのではないらしいことが,予感される。
そして1年経った頃,ふと,
「ぶっ続き,なんだな…」
と気づく。今,自分がここにこうしているのも,世界とぶっ続いていてこそ,なんだな…と何となく分かる。
そういえば…以前,師匠の宮浦老師が,ある参禅者に「坐禅をして何が分かるのか,どうなるのか」と問われて,どうもならないと応えたあとに,こう続けられた。
「"ぶっつづき"ということが,だんだんとはっきりしてくるんだよ」
もう10年も前のことなのだけれど,その時の師匠の「"ぶっつづき"ということが,だんだんとはっきりしてくるんだよ」という声が,今やっと耳の奥までやっと届いたような気がしている。
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