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2012年12月17日 (月)

前後際断〜『正法眼蔵 現成公案』。

(1)諸法の佛法なる時節,すなわち迷悟あり,修行あり,生あり死あり,諸佛あり,衆生あり。

(2)万法ともにわれにあらざる時節,まどひなく,さとりなく,諸佛なく,衆生なく,生なく滅なし。

(3)佛道もとより豊倹より跳出せるゆゑに,生滅あり,迷悟あり,生佛あり。

(4)しかもかくのごとくなりといへども,華は愛惜にちり,草は棄嫌におふるのみなり。 自己をはこびて万法を修証するを迷とす,万法すすみて自己を修証するはさとりなり。迷を大悟するは諸佛なり,悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり,迷中又迷の漢あり。

(5)諸佛のまさしく諸佛なるときは,自己は諸佛なりと覚知することをもちゐず,しかあれども証佛なり,佛を証しもてゆく。身心を挙して色を見取し,身心を挙して声を聴取するに,したしく会取すれどもかがみにかげをやどすがごとくにあらず,水と月とのごとくにあらず,一方を証するときは一方はくらし。

(6)仏道をならふといふは,自己をならふなり,自己をならふといふは,自己をわするるなり,自己をわするるといふは,万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるといふは,自己の身心,および佗己の身心を脱落せしむるなり。悟迹を長長出ならしむ。

(7)人はじめて法をもとむるとき,はるかに法の辺際を離却せり,法をすでにおのれに正伝するとき,すみやかに本分人なり。 人舟にのりてゆくに,目をめぐらしてきしをみれば,きしのうつるとあやまる。めをしたしくふねにつくれば,ふねのすすむをしるがごとく,身心を乱想して,万法を辨肯するには,自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして,箇裏に帰すれば,万法のわれにあらぬ道理あきらけし。

(8)たきぎははひとなる,さらにかへりてたきぎとなるべきにあらず。しかあるを灰はのち薪はさきと見取すべからず,しるべし薪は薪の法位に住して,さきありのちあり,前後ありといへども,前後際断せり。灰は灰の法位にありて,後あり先あり,かの薪はひとなりぬるのち,さらに薪とならざるがごとく,人のしぬるのちさらに生とならず,しかあるを生の死なるといはざるは,佛法のさだまれるならひなり,このゆゑに不生といふ。死の生ならざる,法輪のさだまれる佛転なり,このゆゑに不滅といふ。生の一時のくらゐなり,死も一時のくらゐなり,たとえば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず,春の夏となるといはぬなり。

(9)人の悟をうる,水に月のやどるがごとし,月ぬれず,水やぶれず,ひろくおほきなる光にてあれど,尺寸のみずにやどり,全月も弥天もくさの露にやどり,一滴の水にもやどる。悟の人をやぶらざること,月の水をうがたざるがごとし,ふかきことはたかき分量なるべし。次節の長短は,大水小水を撿点し,天月の広狹を辨取すべし。

(10)身心に法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば,ひとかたはたらずとおぼゆるなり。たとえば船にのりて山なき海中にいでて,四方をみるに,ただまろにのみみゆ,さらにことなる相みゆることなし。しかあれどこの大海,まろなるにあらず方なるにあらず,のこれる海徳,つくすべからざるなり。宮殿のごとし,瓔珞のごとし,ただわがまなこのおよぶところ,しばらくまろにみゆるのみなり。かれがごとく,万法もまたしかあり。塵中格外,おほく様子を帯せりといへども,参学眼力のおよぶばかりを見取会取するなり。万法の家風をきかんには,方円とみゆるよりほかに,のこりの海徳山徳おほくきはまりなく,よもの世界あることをしるべし。かたはらのみかくのごとくあるにあらず,直下も一滴もしかあるとしるべし。

(11)魚の水を行に,ゆけども水のきはなく,鳥そらをとぶにとぶといへどもそらのきはなし。しかあれども魚鳥いまだむかしよりみづそらをはなれず。ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり,かくのごとくして頭頭に辺極をつくさずといふことなく,処処に踏翻せずといふことなしといへども,鳥もしそらをいづれば,たちまちに死す。魚もし水をいづれば,たちまちに死す。以水為命しりぬべし,以空為命しりぬべし。以鳥為命あり,以魚為命あり,以命為鳥なるべし,以命為魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証あり,その寿者命者あることかくのごとし。

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