禅的集中。
腰割りネタ。
12月から腰割りを始めた。
最初のうちは、重心やら筋肉の感じやら、
明らかにカラダが変化するので、
面白がって、せっせとやっていたけれど…
稽古のキモを掴まないまま、
ネットと電子ブックで情報を断片的に拾い集めてやっていると、
だんだんと習癖が出てきて、
何を稽古してるんだかわからなくなってきた。
そこで、3月になって、腰割りの本を一冊購入して読んでみる。
元 一ノ矢『お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密』 (じっぴコンパクト新書 053)。
で、一番引っかかった言葉が、「はまる感覚」。
「はまる感覚」って何?
「たぶん初心者の人は最初は、感覚がつかめなくて多少つらいと思う人もいるかもしれません。でもやっていくうちにだんだんと気持ちよくなってくるはずです。「ああこんな感じだ」「こうやったら楽だ」っていう感覚がわかってくると思うんです。それが「はまる」っていうところですよね。」(68頁)
などなど書いてあるのだけれど、体験的にはわからない。
わからないけれど、どうも「はまる」という方向性で稽古するといいらしい…。
で、はまらないまま、気の向くまま、毎日ちょびちょびやっていると、
腰割り以外で思い出すこと気づくことが増える。
今日もカフェ巡りで5kmほど歩いたのだけれど、
歩いていると…
結構足裏がいろんなことを教えてくれる。
足裏の感覚が一番に大事。
とか、
「歩く」と「歩む」は違うのだなぁ…。
「どう歩くか?」と問うのではなくて「どう歩んでいるか?」と問うた方がいいみたい…。
などなど…。そうそう、
「どう歩んでいるか?」と問いが変わると、歩き方も変わるから面白い。
それから、集中の仕方について。
これは、大きな気づき。
やっぱり日常生活の中で、集中していると時、集中しようとするときには、
必ずといっていいほど対象がある。
カフェで仕事してるときなど集中しているので、
あっという間に1時間2時間すぐに経つ。
坐禅の難しさがあるとしたら、集中の仕方かもしれないなぁ…と。
坐禅のとき、集中しないと、眠くなるし、妄想に陥ちる。
でも、目の前の壁や外の音など外部環境を対象化して集中したり、
自分の身体の状態という内部環境を対象化して集中したり…
というのは、坐禅じゃなくなる。
坐禅には坐禅の、この主客二元論的な集中の仕方ではない集中の状態というのがあって…。
これが難しい…。
こないだ新宿の朝日カルチャーで、以前稽古していた中国武術・日本韓氏意拳学会の会長・光岡英稔さんと禅僧・藤田一照さんのコラボ講座があった。
そのとき光岡さんは意拳の稽古では「外3:内7」という意識の配分というか集中のした方が大事で…
というような話をされていたが、
禅的な集中の状態に近いのではないかと思う。
過去の韓氏意拳の稽古の経験から言って…できないけど…。
ということは、ということとして、
「はまる感覚」を課題に腰割り続けよ…っと。
身心はぶっつづきだ。
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