有時…「刻々が刻々の世界を展開する」。
2月下旬、今年も手作りキットを取り寄せてお醤油の仕込みをした。
説明書には、もろみを混ぜる回数の目安が書かれている。
仕込んだ日から一週間は毎日。
一週間後から1ヶ月までは2日に1回くらい(発酵分解期) 。
2ヶ月めからは3日に1回くらい。
3ヶ月めからは一週間に2回ぐらい(熟成期)。
台所のシンクにおいて混ぜ忘れないようにしていても忘れる。
それで、これまではカレンダーに◯印をつけて混ぜる日を決めていた。
でも、今年は、それをやめた。
変化していくもろみをみていると、
なんだかそういう風に管理するのは違うような気がしてきた。
もろみは、客観的な時間が流れるから、発酵熟成していくわけではない。
当たり前だけど。
発酵熟成が時間を生み出しているんだ。
と想うと、
時間を外に設定して、それに自分を適応させようとして生きている自分!?
が、とても変なことをしているような気にもなってくる。
ふと、「有時」という言葉が浮かんだ。
久しぶりに内山興正老師の『正法眼蔵ー有時・諸悪莫作を味わう』を開いてみた。
「刻々が刻々の世界を展開する」
そう。そうなんだな。
刻々が刻々の世界を「展開する」んだ。
「展開する」という言葉が響く。
自分は、これまで、刻々を止めて捉えようとしてきたように思う。
自分にとって「見る」とは、暗黙理に、
止めること・留めること・固定することと同義だったように思う。
そうじゃないんだな。
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