今年のコンセプトが見えてきた。
2月、3月の体調今ひとつをひこずって新年度。
首肩のこり、肩甲骨あたりの違和感。
オンラインやパソコンの作業で負荷をかける上に、
1年前の手術あとの引き攣れ感というか圧迫感というか…
無意識に体をすくめているのが悪循環になっているらしい。
体調がよろしくないと思考の方向も迷走気味でどん詰まりになりがちだが、
その裏で働く感受性は、環境に対して閉じられておらず、
ものごとの感じ方が変化していくのは、面白い。
3月に入って、やっと少し坐りたくなってきた。
昨夏は5月、6月、7月、8月と、せっせと坐っていたが、体がついていかず止めていた。
坐りたくなってきたこととどう関係しているのかわからないが…
ふと、「SARS-CoV-2だって生きたい!がん細胞だって生きたい!どんなものだって、みんな生きたい!」んだな…
と気づけば、いろんなもの・ことが、つながっているな…としみじみしたりする。
いのちの勢い。
いのちとは、勢いだ。
生死とは、勢いのなまなましい具体の姿だ。
というように気づくと、
坐禅は、事実覚触すること。
事実覚触するとは、自己のいのちの勢いの現れを感受していくということ。
それは、脳内でする覚触・意識が主導する覚触とは、全然違うな…。
というのが、今日の一炷。
「“勢い”を感受し身を委ねる。」
やっと今年のコンセプトが見えてきた。
「出会うところわが生命」(内山興正老師)に薄皮分迫れるのかな〜?
それは、脳内の話。
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