ひもトレからの「前後際断」。

ひもトレ…。
ここのところ、首掛け胸巻で日々過ごしている。
そもそもは、テルミンを練習している時にひもかけてみた。なんだか、音の聴こえが違う。集中の仕方が違うらしい。
ということで、日常でもかけて過ごしてみる。
からだ的に楽…なのだが、おもしろいことに、邪念・雑念、もろもろが、浮かびにくいというか、浮かんでもからだ(頭か?)に止まれない感じがする。
そんな感じが面白く、日々過ごしていると、なんだか「前後際断」?!って感じがしてきた。
道元禅師『正法眼蔵 現成公案』
たきぎははひとなる,さらにかへりてたきぎとなるべきにあらず。しかあるを灰はのち薪はさきと見取すべからず,しるべし薪は薪の法位に住して,さきありのちあり,前後ありといへども,前後際断せり。灰は灰の法位にありて,後あり先あり,かの薪はひとなりぬるのち,さらに薪とならざるがごとく,人のしぬるのちさらに生とならず,しかあるを生の死なるといはざるは,佛法のさだまれるならひなり,このゆゑに不生といふ。死の生ならざる,法輪のさだまれる佛転なり,このゆゑに不滅といふ。生の一時のくらゐなり,死も一時のくらゐなり,たとえば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず,春の夏となるといはぬなり。
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