内山興正老師「異角異見〜新しい生命時代のために」『総合教育技術』(小学館)より。
▼1984年4月号
生命の底光りする一つの人間像
「よいよい生活」への願望は、それ自身一つの生命力なのですから、けっして否定すべきではありませんが、まさにそれがただ「物質的なものだけへの渇望であることが問題なのです。
▼ 1984年5月号
相手は生命である
われわれがいかに力をつくし、教育したつもりになっても、本当に成長するのは、教師の思議による技術ではなく、子どもの生命力そのものなのだということは、絶対見失ってはならぬことであり、同時に教師たるもの、いよいよこの生命の前に怖れ畏むところがなければならぬのだと思うのです。
▼1984年6月号
(-α)×(-1)=(+α)
大体いまの数学の先生方は(数学にかぎらず他の科目の先生方も)、大概ご自分が学生時代からその科目が好きで、その科目がよくでき、それでその科目の先生になった方多いのでないでしょうか。そういう先生方は、その科目を苦手とする生徒の「分からないところ」が「お分かりにならない」のです。
▼1984年7月号
選別と教育
本当に若くして受験に失敗し、絶望を経験しつつ、そこに鍛えられた人間こそが、却って将来逞しく大きく立ち上がり、働く人間になるのかもしれないのです。−−落ちこぼれのこどもに対し、そのまま「おれは駄目なんだ」と一生にわたって落ちこぼれさせてしまうようでは、教師自身こそが失格だとせねばならぬでしょう。
▼1984年8月号
教育する心
いま大切なことは、小人や擬似(えせ)オトナを教育して「ほんとうの大人」とする、「人類の中身の向上」です。それを推進できるのは、ただ、人間の「ほんとうの教育」以外にはないのではないでしょうか。
▼1984年9月号
わが生命分身と出逢う
教育とは、その子どものこれからの一生において、少しでもその生きる内容を豊かにしてやりたいといいう「親心からの教育」でなければいけないと思う。
▼1984年10月号
なんのための勉強か?
ばらが大人に生長すればバラの花が咲きます。教育もそれぞれの人生において、それぞれの花を咲かせるということに価値をおくべきだ。
▼1984年11月号
大切なことは勝つことか、仲よくか
競争社会に勝ちぬくだけを生活原理とする社会、そしてそのための教育をしているかぎり、人類の行き先は開かれないように思う。
▼1984年12月号
大人の心
教育の根本目標は、現代という「小人野蛮時代」を「ほんとうの大人時代」にまで成長させていくことだと思う。
▼1985年1月号
「やる気」の問題−−生命の深さ
今、「やる気」がない、無気力な子供たちに本当のやる気を起こさせるにはどうしたらよいだろうか。
▼1985年2月号
自己の生命力に目を開く
学校で宗教を教えてはならぬということにより、この人間として最も大切な生命さえも見失ってしまったところに、今日の学校教育の根本欠陥があるのではないだろうか。
▼1985年3月号
もう少し心ゆたかな教育を
「心ゆたかに」そして「ゆたかな人生」を送ることこそが、人間の幸福ではないだろうか−−そのために学校教育は何をすべきか。
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