願に生きる。
人間は何度も何度もこの世の中に生まれて来ることは出来ない。人間がこの世の中に生まれて来るのはただ一度です。たまたま人間として生まれて来た,この大切な一生を,何の願も立てずに空しく過ごしてしまうということは,まことに勿体ないことである。高い願を立て,その願を成就しようと努力してゆく,そこにこの世に生きてゆくはげみがあるのです。またその人の願の高い低いによって,その人の値打ちも自然にきまるわけであります。
願に生きる。そこに生き甲斐があるのです。願が成就ということのために,自分の身心を投げ入れる。この場合その願が,人類永遠の福祉のためのものであれば,願が成就する。せぬはすでに問題でなく,その願に生きて行くところに,永遠の生命を感得することが出来るのです。
願のない人のすることは,人生に何の方針もなければ,家庭にも全く方針がない。国にしても国策なしに,やたら税金を取られたら人民はたまったものではない。国家も国家の願がなければならないし,家庭には家庭の願がなければならぬ。
(中略)
国に国策があるように,家庭には家庭策が必要である。つまり,願をもたない家庭は何するための家庭が解らない。一体われわれは何の願があって飯を食うてこうしているのか,もう一つ根本に行けば,何のために生まれたかという人間最終の使命を見出さなければならぬ。
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